例年より早すぎる関東地方の梅雨明け発表がされる2日前の6月25日(土)。東京・多摩あきがわライブフォレスト(深澤渓・自然人村 内)において「100万本のアジサイ音楽祭」が開催されました。
秋川渓谷あじさいアンバサダーの加藤登紀子さんを中心に、新羅慎二(湘南乃風/若旦那)さん、吉井盛悟さん(和太鼓)等アーティストの皆さんと、地元五日市中学校伝送芸能部による囃子グループが出演したこの日。「秋川渓谷あじさいまつり」への花見客の皆さんとも合わせ会場には多くの方々がお越しくださいました。
今回「100万本のアジサイ音楽祭」の開催にあたって触れなければならないのは南沢あじさい山の存在でしょう。
実は山肌に咲き乱れるこの美しいアジサイたちは元々この山に自生していたものではないのです。その背景には、たった一人で1万株のあじさいを育てた伝説の男、“花咲かじいさん”南澤忠一さんの存在があります。
地元の方々から親しみをこめて“ちゅういっちゃん”と呼ばれるその伝説の男は、約50年間なんとたった一人でアジサイを植え続け、この南沢あじさい山を作ってきたのです。それが今では毎年6月中旬〜7月上旬になれば多くの観光客が訪れる全国でも有数のアジサイの名所となりました。
そんな地道な地場の土壌があってこそ乗り出すことができた今回の「100 万本のアジサイ音楽祭」。開催当日も、会場周辺は多くの花見客で賑わい、林道沿いや山肌一面をブルーやピンクに染めるアジサイに皆魅せられていました。
辻コースケさんと吉井盛悟さんがステージに上がり、静かに打楽器と笛の音が響き始める会場。徐々に高揚していく演奏とともに、初夏の日差しに包まれた「100万本のアジサイ音楽祭」が始まりました。
続くyaeさん、青柳拓次さんによる演奏が始まる頃には、南沢あじさい山からのお客さんたちも続々と会場に。地域のおじいちゃんおばあちゃんから子ども連れの家族まで様々な人たちがお越しくださいました。
紫の衣装に身を包んだ加藤登紀子さんがステージに上がると一際大きな拍手と歓声が響きます。
南沢あじさい山に深く関わってくださっている登紀子さん。この祭の名前の由来でもある「百万本のバラ」などを演奏し、力強く包容力に溢れるメッセージと歌声を響かせました。
夏といえばこの人、新羅慎二(湘南乃風/若旦那)さんのレアなアコースティックステージ!
湘南乃風の名曲を織り交ぜながら、様々なカバー曲を演奏しました。世代の皆さんはもちろんのこと、彼のことを知らないであろうおじいちゃんおばあちゃんたちも手拍子をしながら楽しんでいたのが印象的でした。
五日市社中、また五日市中学校伝統芸能部の皆さんによるお囃子(はやし)もまた素晴らしいものでした。
日本の原風景を感じる音色と、獅子舞などの舞踊はまさに「祭」の醍醐味。コロナの影響でなかなかお囃子を披露する機会が減ってしまっていた皆さんからは喜びと躍動感がほとばしります。
大トリを飾ったのは辻コースケさんと吉井盛悟さん。大太鼓の圧巻の音とリズミカルなジャンベの共演に、思わずステージに上がり声を響かせるyaeさん。少しづつエクスタシーに上り詰めていく打楽器の応酬に会場は大盛り上がり。大歓声のままに晴天の「100万本のアジサイ音楽祭」はエンディングを迎えました。
このイベントに一際熱い想いを語っていたのが、会場である自然人村を運営する株式会社do-mo代表の高水健さん。
株式会社do-moはあきる野地域の活性化に力を注いでいるあきる野市の企業で、高水さんはあきる野の地で育ち、幼い頃からこのアジサイに親しんで来たのだと言います。
「アジサイはもちろんですが、僕はちゅういっちゃんの想いそのものに惚れてしまったんです!」
そう話す高水さんは現在あじさい山の“後継者”として名乗りをあげ、事業としてあじさい山の維持に力を注いでいます。
そんな高水さんにアジサイのイロハを継承するちゅういっちゃん、また応援する地域の方々や、あじさいアンバサダーの加藤登紀子さんなどを交え、「百万本のアジサイで街づくりを!」というテーマを掲げたトークプログラムも盛り込まれました。
今回の開催の裏には「南沢あじさい山 運営委員会」をはじめとする多くの人々の“南沢あじさい山を、五日市の文化を守ろう”という努力があります。
「守る」という言葉を辞書で引くとこう記されています。
目をはなさずに見入る。みまもる。
他から害を受けないようにかばう。他から犯されないように防ぐ。守護する。また、そのための番をする。「身を守る」「留守を守る」
『広辞苑 第七版』(2008)岩波書店(出版)新村出(編集)
意外にもあれこれと手を尽くすより先にまず「目をはなさずに見入る。みまもる。」というものが「守る」という言葉の第一義でした。
そこで思い起こされるのが、この「祭り」の会場にいらした皆さんからステージに注がれていた“温かい眼差し”でした。
梅雨明けの強い日差しの中、運営、地元の中学生たちによるお囃子、知らなかったかもしれないアーティストの演奏、少し難しいトークの時間、必ずしも1日通して「快適」「楽しい」時間だけではなかったと思いますが、初めから最後まで真剣に、温かい眼差しでこの祭りを見守ってくださった皆さんがいました。
同時多発的に起こるコンテンツを各々が自由に楽しむ、所謂「フェス」の姿とはまた少し違うような気がしたこの「見守る」姿勢。ステージと観客の垣根を超えて、全員で同じ時間や経験を共有し、見守り、育んでいかんとする共同体の姿を垣間見た時に、少しだけアジサイや文化を「守る」と言うこと、そして日本人らしい「祭り」の本質に触れたような気がしました。
この「100 万本のアジサイ音楽祭」を中心にまた人々の交流が生まれ、この地域のアジサイと文化が育まれていく有様が、今後も大切に見守られていきますように。